日本におけるカイロプラクティック②

 昭和35年には最高裁判決により、カイロプラクティックなどの医療類似行為が行われるようになります。

 

 

 そして昭和48年、村上一男氏がカイロプラクティックの新しい形式を発案し、村上式カイロプラクティックを日本全国に広め始めるのです。

 

 

 カイロプラクティックが社会的に認知されわ象徴としていえる出来事があります。昭和57年、読売新聞広告審議会が村上整体専門医学院の広告掲載を許可するのです。

 

 

 日本カイロプラクティック協会が設立されて以来様々な団体が立ち上がりましたが、昭和60年には、全療協、JCA(日本カイロプラクティック総連盟)、PACC(パシフィックアジアカイロプラクティック協会)、それに日本カイロプラクティック協会が日本カイロプラクティック協議会を結成しました。その後、CFJ(日本カイロプラクティック連絡協議会)へと発展し、平成3年にはWFC(世界カイロプラクティック連合)の世界大会が東京で開催されました。

 

  初めて学ぶ人のためのカイロプラクティック学入門より